ことのはアムリラート、ユリアーモを取り巻くリアリティ

はじめに

ことのはアムリラートの直接的なネタバレはない。
一方で、カンのいい人間は話の筋が読めてしまうかもしれない。筋が読めたところでゲーム体験には概ね問題ない。
筆者は言語学者ではないので言語学に関わる単語の扱いが雑な箇所がある。

序論

ことのはアムリラートはエスペラント語(作中ではユリアーモ)であるから成立する物語であった。
ことのはアムリラートを、他言語の勉強のために置き換えたものがほしいという主張が稀にあるが、実際出たところであまり効果的ではないだろう。
英語に置き換えた教材として最も近い教材はすでにある。中学校の英語教科書だ。だいたいの場合、英語話者でない主人公が、英語話者の登場人物とステップバイステップで英語を学習していく。
中学校の教科書を終えれば、英訳されたライトノベル、英語版のビデオゲームアナログゲームに親しんでいるうちに語彙が増えるというのもよくある。

ことのはアムリラートの巧みなところは、これが人工言語であるから成り立つ物語であるところだ*1
特に、エスペラント語の補助言語としての側面が大事になる。

本論

もともと私には、「言語と文化は密接な関係があり、もし異世界を描くならその世界の成り立ちから文化を描き、そのうえで言語を成立させる必要があるのではないか」という思いがあった。この発想はそう特異なものではない。J.R.R.トールキンの「シンダール語」や「クウェンヤ」、あるいはセレン=アルバザードの「人工言語アルカ」あたりにも通じているだろう。
なので、一部のコンテンツで使われるアルファベットと英語を文字だけ置き換えたお手軽「異世界語」に辟易したり憤りを感じたりしていた*2

なので、エスペラント語(ユリアーモ)が、異世界の言葉として使われることについて、初めてゲームの情報を見たときに強く違和感を覚えた。
「文化と言語は切り離しにくいはずで、エスペラント語を異世界の公用語として使うとはあまりに杜撰なのでは? ザメンホフもいないはずの異世界でエスペラント語公用語になるのはおかしい」という突っ込みだ。

その課題を、ことのはアムリラートはあっさりとクリアーする。
クリアーするための仕掛けとは「異世界からの訪問者(作中で言うヴィジタント)は、それぞれ少し異なる世界から来ているため、同じ母語を話すと思ってもそれぞれの世界での文法や単語が異なるためほとんど意思疎通できない可能性がある」だ。

実際、作中の情報によればユリアーモが使われている特区の外では主人公の母語と同じ「日本語」が使われているという。ただ、主人公の知っている(すなわち我々の知っている)「日本語」とは三割程度の互換性しかない。
確かに、今我々が使っている「日本語」も、歴史上中国との関係や、アメリカとの関係が少し異なっていたら、文法も単語も異なるものになっていただろうということは容易に想像できる。
そんな世界であれば、極力特定の言語の特性に影響されにくい人工的な補助言語が活躍するのは道理だろう。ひょっとすると、それぞれの世界での言語の揺らぎを、各世界のエスペラント語が少しずつ吸収していたとさえ推測できる。

他の人工言語でも良かったのではないか、という指摘はある。しかし現在までで十分な話者がいる人工言語は少なく、採用した場合の現実感が薄いだろう*3

まったく架空の言語というわけにもいかない。それぞれの異世界から来た人たちが、まったく同一の架空言語で喋るのでは物語としてのリアリティに欠けてしまうだろう。それを実現するなら、神のような力に頼らざるを得ないだろう*4

結論

ことのはアムリラートは、人工言語で補助言語であるエスペラント語だからこそ成立する物語であった。世界観にぴったりだ。あるいは、エスペラント語が映える世界を構築できたのだろう。

ユリアーモがエスペラント語であったことで副次的な効果として、リンとルカの邂逅がスムーズになったことがある。エスペラント語の「はい」が「イエス」の音だったからあの導入が成り立った。でなければ「人工言語アルカ」の「紫苑の書」や「異世界転生したけど日本語が通じなかった」のようなアプローチになってしまうだろう。

おまけ

個人的に、ことのはアムリラートで気にかかっている点が、二点ある。ひとつは、リンがこの先の人生でエスペラント語(ユリアーモではない)に出会う可能性。ユリアーモを懐かしく思う瞬間が、あるいは、ユリアーモを作り上げた人たちのことに思いを馳せる瞬間が、リンには待っているのかもしれない。
もうひとつは、ルカという名前が、通常Lucaという男性名として使われるものであり、日本語圏でこそ女性名として使われる可能性があるという点である。すなわち、ルカは日本人だったのかもしれない。幼い頃から海外に住んでいた帰国子女が、移住の結果、幼い頃喋っていた言語を忘れることがままあるという。似たような経緯で日本語を忘れた日本人なのかもしれない。

*1:エスペラント語人工言語というと一部の人は怒るかもしれないが、この記事中では人工言語として扱う

*2:とはいえ、費用対効果ではそれくらいがちょうどいいだろうという制作側の都合も理解はできる。全部が全部、トールキンのレベルで言語を作るなんてできるわけもないしする必要もない。 単なる、オタク特有の「もっとハードコアな作品が見たい」という病である。我ながら勝手なことを言うものだ

*3:たとえばロジバンを喋るルカはなかなか想像できないし、仮にロジバンが公用語になる世界があるとすれば、かなり合理的な世界の作られ方がなされてそうである。主観だが

*4:事実、異世界召喚や異世界転生小説、アニメ、漫画の多くは、言語が同じである理由として神から得た力、魔法や魔法具、異世界と思っていた場所が実は日本の未来の姿、といった方法で解決を図ることが多い