話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選

  • 2018年1月1日から12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から10選定。
  • 1作品あたり1話
  • 順位はなし

なお、タイトルあいうえお順
投稿日が12/28なので実質そこまで

01.アイカツスターズ!「お正月だゾ☆全員集合!」

この投稿のためにあらためて見直しをした。 お正月モノを年末に見ると、また一年が過ぎてしまったな、という感慨が生まれる。
ゆずちゃん先輩の魅力が詰まった一本。
動きはダイナミック。元気。頑張り屋。
日曜の昼くらいにやってたアイドル学園ものパロディも結構好き。
ゆずリリの関係性も見所。アイカツスターズ!の楽曲だとSTARDOM!が好きなのだけど、「憧れは次の憧れを生む」という歌詞が、ゆずとリリィの関係に見える。美しい。


02.SSSS.GRIDMAN(グリッドマン) #03 敗・北

正直、まだ咀嚼途中で、評価をどこにおいてやればいいのか分からないそんな作品ではある。
1話の劇伴の使い方、説明が適度に少なく静かでありながらちゃんと表情含めて押さえてくるのはやはりエヴァあたりが念頭にあるのか。
「パキパキとしたソリッドな感じのアニメーション」とでも表現するのがいいのかもしれない。
物語の仕掛けも興味深いし、キャラクターもあざと可愛い。
ボイスドラマの六花にしゃべらせるセリフが本編と違って生々しい女子高生っぽさが出てるのもリアリティ("リアル"ではない)を前面に出しているのかもしれない。
(実は上記の文は最終話前に書いていたのだが、最終話を見てまで見て、「リアルではない」に別の意味が生まれてしまったな、と思った。元が特撮であることの強い意味が生まれていた)

特撮のグリッドマン自体は幼い頃に見ていた記憶はあるが、話の筋は覚えていない。
人によっては、特撮版は生まれる前に放送されていた人もいるのだろう。
そのうえで特撮版を遡って見た人もいるのかもしれない。そうやって探りたくなる仕掛けも上手い。
私は特撮に対する造詣が少ないが、それでもパロディ含めて特撮やアニメといった文化がすごく好きな人が書いているのだなというのは伝わってくる。

どの話数も面白いのだが、3話を推したい。
特撮なのかアニメなのかというので、アニメっぽい気持ちよさが3話に出ていた。
画面全体、怪獣の吹き飛び方などに重量を感じる作りになっているが、特に3話はMAX GRIDMANが殴りにいくシーンの重みが強く出ている。
キャリバーさん周りのアニメーションの気持ちよさも際立っている。
女性キャラクター人気がインターネットでは目立つが、サムライキャリバーさんやアンチくんと言った魅力的なキャラクターがその片鱗を見せるのが3話というのもある。


03.軒轅剣 蒼き曜 第七話 錯綜之念(さくそうのねん)

台湾のゲーム軒轅剣シリーズのアニメ版。
スタッフは日本人。中国の物語文法が少しずつ感じられて良作。
実は1話や10話も選ぼうとしていた。
1話のよさは、開始直後の劇とか、主人公殷が宙に浮くシーンがすごくて、まるで糸で吊られているようでやはり劇を意識しているのかな、と思った。
ソースを失念したけれど、アメコミだと、超常の能力を得た人間は目が光る表現が使われることが多く、日本の漫画だとオーラのようなものをまとう表現が良くある、そして中国の超能力表現として、(舞台技術のように)宙に浮くというのがあるとどこかで読んだ記憶がある*1。 それが念頭にあって、見た瞬間に「これは糸で吊るのを意識しているぞ」となった。

中国の物語を読んでいると、人命に対する感性が少し違うらしく、封神演義安能務 訳)であればパカパカ頭を割られて死ぬシーンが多かったし、意地の悪いキャラクターの運命などについても凄惨とも非業とも呼べるような死を迎えることが多くて、この軒轅剣においても同じような感性の違いが見られる。
1話で龍澄に手を挙げた部下があっさりと首を斬られているのも中国の物語に感じる。

7話に話を戻す。
物語の面白さのひとつの方向として、登場人物たちひとりひとりが悪意を持っていないにもかかわらずそれぞれの思惑がすれ違ってしまうことがあるが、7話はタイトル通りでまさに錯綜だった。
そして物語自体が後編に向けてぐぐっと転換するタイミングでもあり、これはぜひ見て確かめて欲しい。

なお10話、近年まれに見るつらいアニメーションだった。
忘れた頃に差し込まれる雫のシーンが、ずっと耳に残る上手い設計だ。
これは軒轅剣全編を一気見してしまうとたぶんあまり感じ入ることはないだろう。
10話は見終わったあと時間を空けてから11話に移ってほしい。

最終話、それぞれがなにを望んで動いてきて、結果的に得たモノと失ったモノとを見比べたときに「どうしてこうなってしまったのだ」という気持ちと、彼ら彼女らの幸せについて考えてしまった。
天命に翻弄されるのもやはり中国の物語ゆえか。
あと、個人的には、2.5次元軒轅剣を待っています。


04.少女☆歌劇 レヴュースタァライト 第10話 されど舞台はつづく The Show Must Go On

近年(いつ?)、アニメ業界において舞台の重要性が増している。
円盤売り上げが少なくなっている分を補うべくなのか収益の枠組みが変わりつつある。
たとえばソシャゲへの導線が目立つのだが個人的に興味を持っているのが声優や俳優を使った舞台である。
アニメ作品を人が演じることで虚構と現実が溶ける瞬間が生まれるのかもしれない。

今回挙げたのは10話。
適わないと思いながら努力するその姿が好きで、たぶん自分がそういう才能というものを持っていない、という確信があるからこそ、舞台少女のきらめきに私自身が惹かれているのだと思う。
私も、観客としてキリンとして、舞台に立ち続ける少女たちを眺めていた。
アニメを見ていながら、舞台を見ているような気持ちになり、また舞台を見た人は舞台の記憶も混ざって複雑な感情になる。キャラクターへの共感も混ざりもはやよくわからない感情になるのだった。
これも第四の壁の壊し方なのだろうか。


05.宇宙よりも遠い場所 STAGE12 「宇宙よりも遠い場所

すべての話数を一つ一つ10選として挙げたい作品だった。
まだ他の人の10選を見ていないが、多分今年のこの企画で一位二位を争うものと言えばきっとSTAGE12「宇宙よりも遠い場所」だと勝手に思っている。
などといっていたら The New York TimesのBest TV Shows of 2018で海外部門を受賞していたようで、なるほど強かったのだなとなった。
「よどみの中で蓄えられた力が爆発して、全てが動き出す」
という1話冒頭のナレーションが、深く沁みていたからこその12話だったか。
挿入歌の使い方も本当に上手い。
ガシガシと刺してくる作りで、毎話泣いていたと思う。
この秋になってからいろいろな制作者のインタビューを見て、30代の男性すなわち私がしっかりとターゲットになっていたことが分かったのをどう受け止めて良いやら。
日向大好きなんだけれども好きなキャラクターの方向性がモロに分かる。


06.ゾンビランドサガ 【第9話】一度は尽きたこの命 なんの因果か蘇り 歌い踊るが宿命なら 親友への想いを胸に秘め 貫くまでよ己の SAGA

2018年の終わり頃にまたずいぶんと強い物語が出てきたな、という感じだった。
アニメ聖地の町おこしは一時期消えたと思っていたけれど、丁寧に組んだ物語はやはり人を引きつける。
物語に対する愛?真摯さ?そういったものの片鱗が見えることが嬉しいのだと思う。
ゾンビランドサガは、ゾンビじゃないと成立しない物語と、アイドルでないと成立しない物語の両方が上手く組み合わさっていた。
巽の阿呆な演技にゲラゲラと笑っていたらいつの間にか世界に引き込まれているという構成も強い。

1話の時点で、生き返ったとしたら知ってる人も出てくるだろうと思っていたが、8話段階ではゾンビになって人が甦ることがアニメ世界内ではあり得ないこととされているリアリティにいまいち納得できなかったけれど、9話のゾンビだからできること、ゾンビだから再び死ぬことなく戻ってこられる、そしてそれが当時できなかったことの再現になっていることまで見て、この物語は強いなと思った。
7人の個別回を1期12話で回しきるのは難しいのだろう、割り切りが見られる構成だった。
全員分出さないことで二期や劇場版も視野に入ったのかもしれない。
二話もあのラップで直前までは候補だったのだが、私が2号推しなので個別回の9話を。


07.ポプテピピック #07 ヘルシェイク矢野

アニメか?という突っ込みはあろうが、とにかくすごいモノを見た、という気持ちになった。


08.ヤマノススメ サードシーズン 十話「すれ違う季節」

もはや安定して見ていられる。
スタッフが我々を「裏切ることはないだろう」という信頼がある。
サードシーズンは、全体を通じてすれ違いを丹念に描いていたが、やはり一人作画の驚異もとてつもなかった。
少人数での作画になると、その手触りというかその人らしさが前面に出てきてとてもよい。
なので二話と迷ったのだが、十話の「すれ違う季節」を推す。
ひなたの寂しさが、画面の端々から感じられ、また、電車内の「ゆり」のカバンを持ち直す仕草や直前の手が揺れている作画に、生き生きとした様子を感じた。
そして後半の中心となるすれ違いの疑念の生まれ方。
あ、百合だ、そんな気持ちになる話数だった。


09.ゆるキャン△ 【第5話】二つのキャンプ、二人の景色

山梨の空気が感じられる、美しい物語だった。
一話ごとぐらいにキャンプと日常を行き来する構成がまさにゆるいキャンプという感じでいい空気。
OPのリンちゃんが少しずつ打ち解けていくちょっとした仕掛けもよかった。
3話のラスト、なでしこを呼ぶリンちゃんにやられてしまったのだが、

この独特の距離感が、しっかりとまとまったのが5話の夜空だった。
遠い空の下、それでも確かにつながっている。これが2018年の距離感なのかなとそんなことさえ思った。


10.若おかみは小学生! 第10話 「二人は親友!?若おかみ」

今年は映画「若おかみは小学生!」の話題を良く聞いた。
パジャマ姿のおっこがめちゃくちゃ可愛いのだけど、twitterで言及している人が少ないので特殊な見方をしているのだろうな、という気持ちになっている。
それでも、映画版と比較する形でテレビ版の考察をする人が多かったのでそれはそれで。
テレビ版、9話10話のピンフリがめちゃくちゃ可愛く、また20話のおっこがめちゃくちゃ可愛いのでとにかく全話見てもらいたい。
9話は登場時にテレビのこちら側で本当に、こう、撃ち抜かれたという表現がぴったりだった。

実を言えば昔からテンプレなキャラクター造形を敬遠してきた気持ちがあるのだが、 最近は「金髪ツインテツンデレもいいじゃないか」とおおらかな気持ちで見ることができるようになり、 ピンフリも、努力するお嬢様でツンケンしているけど心根が優しい様子でコロリとやられてしまった。
我ながらちょろい。
しかし話数としては10話を挙げる。
真月の芯の強さがラストに掛けてちゃんと見えるのがいい。



途中にも書いたが、アニメーションの生き残り戦略に多様性が増しているように思う。
テレビ配信ではなくインターネット配信しかり、音楽や部隊を含めたマネタイズを模索することも増えた。
海外でアニメスタイルストーリーテリングが広まるに従って、配慮も増えるものであるというのがNETFLIXなどから見えてくるところである。
文化は、いくつかの障壁によって分断され、その中での先鋭化することで特異なものとなり、時間を掛ける過程で文化としてより強固なものになっていくのだと思う。
こうしてアートスタイルが世界に広がっていくことがどういう変化になっていくのかは見守りたい。
スタイルとしての特徴を考えると、2018年は構成を強く意識した年だった。
一回こっきりの要素で毎週の視聴と考察を促して、SNSを介して人を舞台やコンサートへと導く仕掛けがよく見える気がしている。

選外でありながらよかったものをいくつか
- 青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない 第8話 大雨の夜にすべてを流して→消える、の表現はSSSS.GRIDMANなどでもあったけど、余韻の残し方が難しい。これは道具を上手く使っていた。
- はねバド! 第2話 運動の後の肉は格別ッス!
- りゅうおうのおしごと! 第七局 「十才のわたしへ」
- ソラとウミのアイダ 9話 「浴衣でラクしい夏休み!」
- あかねさす少女 5話 「ヒーローの条件」
- LOST SONG 第12話 「始まりの歌」→正直なところ飛び道具だけど、リアルタイムでアニメを見る価値のひとつは間違いなくああいったところにある。

*1:20181230 少し反応があったので追記。ソースとまでは呼べない傍証くらいのものだが、 http://www.cinemart.co.jp/article/news/20160311000526_2.html 仙、神、妖、魔、鬼だから、飛べるのが当然! 飛べないのは人間だけです! と言うしかありません。実は、古くから伝わってきた中国の伝説の中で、仙人や神は雲の上に住んでいるので、出入りは飛ぶのが当然なことです。

同人誌のあとがきに追記するエッセイ

自分を含めたほとんどの人の、日々の関心からはすでに離れてしまった作品が、時おり心を掠めることがある。

その頃一緒に盛り上がった知り合いたちも、いつの間にか新しい話題の比率が増えて、特に言及することなくなってしまっている作品だ。
自分自身も時どき思い出して10分後には忙しさに取り紛れて忘れてしまっている、そういうことがある。
ある事象が、時が経つにつれて人の言の葉に乗らなくなることは、当然に起こることである。悲しんではいられない。変わることは悲しいことではない。時が経つことは誰かが止められるものではないのだから。
小説や映画が、歴史の中で残ったり残らなかったりすることを、「時の試練」と表現することがあるが、あるいはこれも「時の試練」の一種かもしれないとも思う。

別の話をする。作られてからほとんど他の人に読まれたことのない報告書が、この世には存在する。私も編纂に関わったことがある。いわば作られることがその時の目的で、広く読まれることを前提としていないものだ。
たとえば大学の卒業論文の多くも似た運命にある。それでも卒業にあたりレビューされるのでそれで十分存在意義を全うしたと考えられる。
知の営みにはおおむねそういう側面があるのかもしれない。大海に投げ込まれたボトルメールのようなもので、低い可能性とは知りながら、いつかどこかの誰かに届いてほしいというささやかな願いがこめられているのだ。そして、そういったものにたまたま触れたとき、その当時文書の編纂に関わった人々の営みや悩みが、読んだ自分に実感を持って立ち昇ってくることがある。

話はさらに飛び、アニメの話になる。 私が好きなコンテンツであるところの「放課後のプレアデス」は、2015年にテレビシリーズとして放送された作品である。これについては、もっと詳しいサイトがいっぱいあるだろう。いずれ自分の中でも消化するための記事は書きたいが、それは今日ではない。
年あたり200以上の新規のテレビアニメ作品が増えている現代に、三年も前に放送されたいちアニメの、さらにいち同人誌やブログエントリを見ること自体稀有なことである。
これを読んでいるあなたは、たとえば2020年の未来に(今は2018年だ)遅れてこのコンテンツにハマって二次創作を探している最中にウェブの片隅でよく分からないエッセイを不意に見つけたのかもしれない。あるいは昔好きだったコンテンツをなんらかの偶然で思い出して検索したのかもしれない。もちろん、まだ毎日このコンテンツを検索している人かもしれないが。

ここに来て、上記の3つの話が合流する。
先日「放課後のプレアデス」の二次創作小説「祈りは物理に従わない」を頒布した。
私は、この二次創作のなかで、作中の関係を想起させるだけでなく、作品と視聴者の関係を想起させたいと思っていた。
「遠い未来にたまたま物語に触れた会長ないし会長の仲間」という作中の関係のみならず「ブームが過ぎたアニメの同人誌を遅れて読んだ人」や「過去には好きだったけど今はほとんど言及することがなくなって、たまたま思い出して物語に触れた人」という作品と読者という関係も意識している。
前者の作中の関係については言うまでもない。作中の会長が、いずれ未来の中で「自分が覚えていない記憶に関する記録」に触れたときの気持ちを想像することになる(それができるほどの筆力があるかは疑問だが)。
後者について、昔一緒に同じコンテンツについて盛り上がっていたことに対する憧憬(のようなもの)が込められている。読んだ人が、少しでも当時盛り上がっていたときの感覚に近づいて欲しいというものだ。
それは、人によっては当時を"思い出す"ことになるのかもしれないし、人によってはその当時を"想像"することになるのかもしれない。実際のところ、それはどっちでもいい。遠く離れた過去に思いを馳せることは、どちらも似たようなものだからだ。
だから、きっとほとんどの人の人生には関係のない、ほとんど読まれることのない物語を、もしかしたら届いてくれるかもしれない、とささやかな願いを込めて綴っている。
実際、その同人誌だってたかだか40部程度しか頒布されていない。
このブログ記事を読んでいる人と同人誌を読んだ人の積集合なんてせいぜい5人程度だろう。

時間が経つにつれ、ひとり抜け、ふたり抜けているこのジャンルに、私はまだいる。たまたまかもしれないけれど、まだ私はここにいるのだ。
そしてそこで、読まれる可能性の低い物語を綴っている。
この立ち位置は、今回私が書いた物語における会長の立場に似ている。
だから、この物語は会長から未来の会長への物語であると同時に、私から同じファンのみんな(そしていつかの未来、この物語にたどり着いた同じファン)への物語だ、たぶん、きっと。

micromillion.booth.pm

自己肯定するアニメをざっと思い出した

自己肯定するアニメを紹介してくれという増田の記事があった。

anond.hatelabo.jp

自己肯定の定義はないものの、放課後のプレアデスという単語が出てきたのでいつもその話題を書いている自分としては反応せざるを得なかった。

以下、見た作品を書くが古いものも多い。記憶も大分曖昧になっている。
ちょっと見直したものもあるが、やはり細部では間違っているかもしれない。
※当然だが、世の中全てのコンテンツを見ているわけではないので「○○がないやりなおし」とか言われても困る。

今は眠いのでまたあとで適当に能書きが追加されると思う。
一応のおすすめ順で書く

  • 少年ハリウッド
    どこまでも普通の少年の話。アイドルであっても妹には家で邪険にされる。アイドルとしての自分を通じて自己のありようまで至るまでの過程がどこまでも真摯な作品。周囲との関係の中で自分のあり方に自身で気づく、そういうところが放課後のプレアデスの自己肯定に近いのではないか。絵がバタ臭い感じだったり、突飛な演出(5話は主人公たちが劇中劇をするだけ)がちょくちょくあるのも魅力か

  • 宇宙よりも遠い場所
    ちょうどコレをアップした24時間後くらいに最終話が放送されて追記したから。 もう、ほんと、間違いなくこれは間違いないから、絶対見て。

  • アイカツ!
    ただ誰ひとりも敵がいない。いるのはライバルだ。 アイカツをすれば自分だってどこまでもどこまでもいける、そんな気持ちになる。 互いを褒め、自分も頑張ろうとする様子が、むしろ画面のこちらに働きかけて私自身を肯定したくなる。

  • アイドルマスターシンデレラガールズ
    話のメインは卯月。自分が持っているものに気づかないままで目標を見失いつつある女の子を中心に、様々な女の子の様々な進み方が提示されている。アイマスの無印は絆を中心にしていたが、一方こちらは普通の女の子が一歩踏み出す話が多いので自己肯定をするシーンがちょくちょく見られる。16話とか17話とかすごいいいよ~。一歩進むというところと、靴(シンデレラの靴)を脱いで新たに自分の道を歩み始める様とかも演技があるので足に注目すると楽しいだろう。とはいえ卯月に対してはきっと今後進んでいけるのだろうというほのめかしくらいで終わっているのですっきり感は薄いかも

  • ガーリッシュナンバー
    実際の芸能界は知らないが、こういう性格悪いキャラが自分の自信が砕ける理由というのが、 優秀な後輩の存在というのがよい。 ある種の開き直りに近い形で社会に歩み寄るのは、珍しい自己肯定パターンか。

  • SHIROBAKO
    SHIROBAKOがすべてが綺麗なお仕事もので、自己というより、自分の活動としての仕事を肯定したくなる。 SHIROBAKOの宮森あおいと、ガーリッシュナンバーの烏丸千歳とは、結局一所懸命に目の前の仕事をこなしていくことを決意した、という点で同じかもしれない。自己と現在の肯定というものはあろう。

  • 七人のナナ
    基本は受験を通じたラブコメなのだが、受験もまた自分を克己するなかで自分との対話がある。 七人のナナ(自分)との対話により納得をしていく様を自己肯定と呼ばずしてなんというのか。

  • とらドラ!
    恋愛は相手を通じた自己の価値を再確認するものといえよう。それが肯定へつながるのだ。 女性キャラクターの生き生きとした描き方がよく、みんな悩み、決断し、そうしてみんな前に進む。いや、時がすぎるだけなのかもしれない。

  • URAHARA
    現代の(特にアマチュアの)クリエイターだとやはり自分の依って立つところに 疑問に思うところがあるのではないか。どこまでが他の作品の影響で、どこからがオリジナルかという。 絵も不思議な色合いでデザインでかわいい。三人が三人で、だからこそ自分たちの存在を発見する。そんな物語。

  • ポッピンQ
    偶然集まった、勇気が出せなかった女の子たちひとりひとりが、 そのトラウマを少しずつほぐしていくアニメ映画。個人的にはもっと尺が欲しい。

  • ブレイブウィッチーズ
    落ちこぼれの主人公が、持っている根性でなんとかトップ集団に食らいついていって、いつの間にかチームでもある程度活躍できるようになる。実際能力がめざましい訳ではないからこそ、あの人たちになりたいと思ってもできないからこそ自分なりの、自分のあり方を肯定する物語になる。

  • つうかあ 6話まで

  • アンジュ・ヴィエルジュ 12話まで
    田村正文、高山カツヒコのコンビは「あのセリフ」が好きなんだな、と。

  • あまんちゅ!
    踏み出す一歩が怖いところから、徐々に輪の広がって世界の美しさに気づく、 自己の肯定ってのは自分を取り巻く世界の肯定なんじゃないか。

気分が乗ったら以下も書くかも
ローリング☆ガールズ
ステラの魔法
AKB0048
アリスと蔵六
賭ケグルイ

私は、放課後のプレアデスが好きすぎて二次創作同人誌を初めて頒布してしまったけれど、そういうパワーを持った作品だった。
ブコメにも似たような指摘があるとおり、彼女たちの周囲の人たちが優しくて、 彼女たちが愛されているからこそのああいった自己肯定ができるのであって、 同じような作品を探すのは困難があった。
確かに「自分は自分でしかない」「俺の生き様はこれだ」と自己肯定するアニメはいっぱいある。
しかしながら、それは自己の有り様を肯定するというのは時に独善的になってしまい 周囲との適切な距離感を保ちつつ自分を肯定できる物語は珍しい。

放課後のプレアデスのような形で「自己を肯定する物語」は実のところ少なくて、だからこそ自分を含め作品が深く刺さる人間がいるのかもしれない。

20180328追記
以前、けものフレンズが放送されたときに「けものフレンズは実質〇〇」といった形でさまざまに似たアニメや漫画が紹介されたことがあった。ひと通り見たのだが、結論は「似たコンテンツは似たコンテンツであり、やはり別物」である。

たぶん私が上に挙げた作品も、多かれ少なかれ放課後のプレアデスと似たところはあるし、説明もそう外してはいないだろう。全話のうちどこかの一話が似ているようなものより、全編通じてはじめて似た印象が出るものを選んだつもりである(一部を含めると「モーレツ宇宙海賊」、「おねがいマイメロディ」みたいに無限に出てきてしまう)。しかし、そうして見るほどに「これは放課後のプレアデスの自己肯定とは違うのではないか?」と感じるのではなかろうか。
追記しても見る人はほとんどいないとは思うけど、ぜひ、どこかで私が上げた作品や、ブコメで出たアニメの感想も書いてくれるとうれしい。
人生を変えるほどのパワーを持った作品が、同じように突き刺さったいちファンとして同じファンに捧ぐ。

話数単位で選ぶ、2017年アニメ10選

  • 2017年1月1日から12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から10選定。 (投稿日が12/28なので実質そこまで)
  • 1作品あたり1話
  • 順位はなし(タイトルあいうえお順)
01.賭ケグルイ 12話「賭ケグルイの女」

たぶんあまり選ぶ人がいない。顔芸ばかりクローズアップされるが、様々なタイプのギャンブル狂の思考に触れることができて面白いものだった。立場のために賭けをする者、金のために賭けをする者、自尊心、嗜虐心、好奇心、命のやりとり、賭け事の興奮を求める、とまあ、本当にバリエーションがあった。 賭け事も本当に昔から行われているもので、ある意味人間の業に近づける議題なのだろうと思う。 最終話の「自分が負うべきリスクは自分で決める」という決断が、結局は人生の真理のひとつなのかもしれない。

エンディングが胸元がはだけたりするような扇情的な絵のはずが、妙な迫力があって単純なエロスという感じでもない。80デニールくらいの黒タイツの描き方が、「冴えない彼女の育て方」のようなすごみがある。


02.けものフレンズ 1話「さばんなちほー」

今年は本作について言うまでもないが、1話が全12話構成の、本当にきれいな繰り返しだった。 1話時点で興味深い旨ツイートしていたが、まさかここまでの流れ(そしてあの事件)になるなんて思ってもいなかった。 二期がなくなった件については、やはりというか、むしろ二期が蛇足になってしまうのではという気もしていたので、これはこれで仕方ないのかもしれない。2017年を代表するアニメといって差し支えない。


03.Just Because! 7話「Snow Day」

じわじわと面白くなるタイプのアニメだった。キャラ作画の不安定さ(その分背景への力のいれ具合)、に加えて小宮愛が止まらない7話を置く。 背景の看板などの文字で状況を説明するの(か遊んでいるのか)も面白い。 アニメを毎週見ることの価値のひとつに、翌週への「引き」の強さを味わうところがあるが、この7話はまさにそれ。行きの電車のシークエンスも、引きも最高。

『Just Because!』を誰かに観てもらうためにブログを開設した。 - Small Scale & Build, Build, Build...!!!!

正直、人物絵は不安定な個所も多いし、センター試験前の高3がこんな調子かよと思うけど、それを吹き飛ばす積み重ねた描写、人物の心の動き、テンポ、背景の良さが回を追うごとに沁みてくる。とりあえず7話まで見て

2017/12/14 15:27


04.少女終末旅行 8話

8話より9話がSF的とか衒学的とかで人気な気がするが、月光の下で踊る少女たちが尊くてこちらを選ぶ。 チトとユーリの関係が、「びう」の影響で可視化されたのがまた美しい。 3話のカナザワの石田彰さんもよかった。もの悲しい終末世界に見合った演技だった。 7話のイシイも三石琴乃さんが、大人の、抑揚の少ない演技がとてもハマっていてよかった。


05.徒然チルドレン 12話

菅原高野の二人がすごく好きで、高野の自信のなさが私の姿に重なるような、そんな気がした。 どの二人組も魅力的ではあるが、教室の外で菅原高野のやりとりを聞いていた吉永の存在が12話を大きく引き上げた。吉永の表情だけで言えば、11話と迷った。 そして最後の「夏が始まる」がツボで、放送は九月も下旬だというのに自分の気持ちが一気に夏に引き戻されたのが記憶に残った。


06.ネト充のススメ 10話「月夜の晩に」

ストーリー自体は特筆すべき所はないと思うが、最終話の構成は、古典が蓄積してきたものをぎっちぎちに詰め込んだものだった。すごいものを見たな、という印象を受けた。 下手をするとコテコテになってしまう流れに納得感が出るためには、それまでの積み重ねが大事なのだと思う。


07.プリンセス・プリンシパル 「case18 Rouge Morgue」

シナリオが非常によく練られたアニメだった。 ひとつひとつの疑問の提示の仕方や順番もよく、毎週ハラハラさせられたし、毎週ごとに前週の内容の何気ないやりとりに意味があったと発見できるその仕組みも精密というか緻密というか。 5話、6話、10話で悩んだが、ドロシーがあまりに不憫なので6話を挙げよう。 私が剣術を嗜むので5話に対する複雑な気持ちがあり、10話よりも放送後の余韻の多さが6話好みだったのもある。 毎回良質な短編映画を見るような、フォトジェニックな絵や、終わり方が綺麗なのもうまい構成だった。


08.宝石の国 8話「アンタークチサイト」

正直に言えば、アンタークチサイトへのフォスフォフィライトの思いについて、そこまで思い詰める意思を、理解ができていないところがあるが(目の前で失うことの大きさ、で片付けてよいものなのか)、それでもあの8話の疾走シーンからの9話の変化がよかった。 3DCGアニメーションがいつの間にやら「普通」になってきたな、と思っていたが、その上でローテクでない、味わいでさえない、映像美のクオリティとして押してくるこの作品は本当にすごかった。 10話のダイヤモンドがひとりで逃げるシーンの長回しカットは本当に息をのむ。 全話必見だろう。


09.ボールルームへようこそ 19話「敵(ライバル)」

全編全速力で駆け抜けたアニメーションだった。どれも選びがたいところはあった。 前半の方が好みではあるが(どう考えても真子ちゃんが好みなだけだが)、強烈な「憧れ」を見せられて、引きずり込まれたのが19話。唐突と言えば唐突だったが。子供の頃の憧れが後々まで影響を与える物語が結構好きなのだと思う。 ダンスという題材がとても良かったのだと思う。


10.魔法陣グルグル 20話「第20章 抜け出せ!レフ島!」

前半の駆け足がもったいなかった。1年くらい掛けてやってくれれば、もっと最終話の「恋するハート」への思い入れが入ることになったと思うが、まあ、仕方あるまい。 とにかく全編ククリのかわいさがこの上ない。 エロマンガ先生で沙霧アニメーターが話題になったが、ちょくちょく描いている人の最高のククリではないかという可愛さを見せられる。 また、OP最高に格好いい。 挙げたのは20話。急に差し込まれるこういうネタに弱いという自分の特性がある。 あと、20話まで来てやっと自分が(なのかシリーズがなのか)テンポに慣れたというのがある。 演出の綺麗さ。図書館の光の加減も本当に綺麗。 最終話「恋するハート」の内側と外側の考え方も10選に採用すべきか否か悩んだ。


一年前は中国アニメが台頭するのではないか、もっと見るべきではと言っていたが、あまり見ることができていない。 絵梦の「セントールの悩み」など、目を引くものはあったが、まだ自分の心に深く傷跡を残すものではなかった。単に自分の感性が古くなっているだけかもしれないが。 また、中国産のアニメの様子を見れば、決して日本市場での成功を狙っているわけでもないことが見て取れてきた。このまま中国は、中国の市場で成功を狙うのかもしれない。 まあ、そういうものなのだろう。

ことのはアムリラート、ユリアーモを取り巻くリアリティ

はじめに

ことのはアムリラートの直接的なネタバレはない。
一方で、カンのいい人間は話の筋が読めてしまうかもしれない。筋が読めたところでゲーム体験には概ね問題ない。
筆者は言語学者ではないので言語学に関わる単語の扱いが雑な箇所がある。

序論

ことのはアムリラートはエスペラント語(作中ではユリアーモ)であるから成立する物語であった。
ことのはアムリラートを、他言語の勉強のために置き換えたものがほしいという主張が稀にあるが、実際出たところであまり効果的ではないだろう。
英語に置き換えた教材として最も近い教材はすでにある。中学校の英語教科書だ。だいたいの場合、英語話者でない主人公が、英語話者の登場人物とステップバイステップで英語を学習していく。
中学校の教科書を終えれば、英訳されたライトノベル、英語版のビデオゲームアナログゲームに親しんでいるうちに語彙が増えるというのもよくある。

ことのはアムリラートの巧みなところは、これが人工言語であるから成り立つ物語であるところだ*1
特に、エスペラント語の補助言語としての側面が大事になる。

本論

もともと私には、「言語と文化は密接な関係があり、もし異世界を描くならその世界の成り立ちから文化を描き、そのうえで言語を成立させる必要があるのではないか」という思いがあった。この発想はそう特異なものではない。J.R.R.トールキンの「シンダール語」や「クウェンヤ」、あるいはセレン=アルバザードの「人工言語アルカ」あたりにも通じているだろう。
なので、一部のコンテンツで使われるアルファベットと英語を文字だけ置き換えたお手軽「異世界語」に辟易したり憤りを感じたりしていた*2

なので、エスペラント語(ユリアーモ)が、異世界の言葉として使われることについて、初めてゲームの情報を見たときに強く違和感を覚えた。
「文化と言語は切り離しにくいはずで、エスペラント語を異世界の公用語として使うとはあまりに杜撰なのでは? ザメンホフもいないはずの異世界でエスペラント語公用語になるのはおかしい」という突っ込みだ。

その課題を、ことのはアムリラートはあっさりとクリアーする。
クリアーするための仕掛けとは「異世界からの訪問者(作中で言うヴィジタント)は、それぞれ少し異なる世界から来ているため、同じ母語を話すと思ってもそれぞれの世界での文法や単語が異なるためほとんど意思疎通できない可能性がある」だ。

実際、作中の情報によればユリアーモが使われている特区の外では主人公の母語と同じ「日本語」が使われているという。ただ、主人公の知っている(すなわち我々の知っている)「日本語」とは三割程度の互換性しかない。
確かに、今我々が使っている「日本語」も、歴史上中国との関係や、アメリカとの関係が少し異なっていたら、文法も単語も異なるものになっていただろうということは容易に想像できる。
そんな世界であれば、極力特定の言語の特性に影響されにくい人工的な補助言語が活躍するのは道理だろう。ひょっとすると、それぞれの世界での言語の揺らぎを、各世界のエスペラント語が少しずつ吸収していたとさえ推測できる。

他の人工言語でも良かったのではないか、という指摘はある。しかし現在までで十分な話者がいる人工言語は少なく、採用した場合の現実感が薄いだろう*3

まったく架空の言語というわけにもいかない。それぞれの異世界から来た人たちが、まったく同一の架空言語で喋るのでは物語としてのリアリティに欠けてしまうだろう。それを実現するなら、神のような力に頼らざるを得ないだろう*4

結論

ことのはアムリラートは、人工言語で補助言語であるエスペラント語だからこそ成立する物語であった。世界観にぴったりだ。あるいは、エスペラント語が映える世界を構築できたのだろう。

ユリアーモがエスペラント語であったことで副次的な効果として、リンとルカの邂逅がスムーズになったことがある。エスペラント語の「はい」が「イエス」の音だったからあの導入が成り立った。でなければ「人工言語アルカ」の「紫苑の書」や「異世界転生したけど日本語が通じなかった」のようなアプローチになってしまうだろう。

おまけ

個人的に、ことのはアムリラートで気にかかっている点が、二点ある。ひとつは、リンがこの先の人生でエスペラント語(ユリアーモではない)に出会う可能性。ユリアーモを懐かしく思う瞬間が、あるいは、ユリアーモを作り上げた人たちのことに思いを馳せる瞬間が、リンには待っているのかもしれない。
もうひとつは、ルカという名前が、通常Lucaという男性名として使われるものであり、日本語圏でこそ女性名として使われる可能性があるという点である。すなわち、ルカは日本人だったのかもしれない。幼い頃から海外に住んでいた帰国子女が、移住の結果、幼い頃喋っていた言語を忘れることがままあるという。似たような経緯で日本語を忘れた日本人なのかもしれない。

*1:エスペラント語人工言語というと一部の人は怒るかもしれないが、この記事中では人工言語として扱う

*2:とはいえ、費用対効果ではそれくらいがちょうどいいだろうという制作側の都合も理解はできる。全部が全部、トールキンのレベルで言語を作るなんてできるわけもないしする必要もない。 単なる、オタク特有の「もっとハードコアな作品が見たい」という病である。我ながら勝手なことを言うものだ

*3:たとえばロジバンを喋るルカはなかなか想像できないし、仮にロジバンが公用語になる世界があるとすれば、かなり合理的な世界の作られ方がなされてそうである。主観だが

*4:事実、異世界召喚や異世界転生小説、アニメ、漫画の多くは、言語が同じである理由として神から得た力、魔法や魔法具、異世界と思っていた場所が実は日本の未来の姿、といった方法で解決を図ることが多い

フォトカノについて

目次

これを書いた動機

すでにレコラヴという正統進化版(話につながりはないものと思う)があるのだから、今更フォトカノを紹介するのも微妙かとも思ったが、たまたまPS Plus1月のフリープレイにフォトカノがあるという情報を昨日得たのでフォトカノについて書かねばならない気持ちが湧いてきた。
私はこれからフォトカノについてつらつらと書くが、まだPSP版、PS Vita版とも、半分くらいのキャラクターしかクリアしていないし、攻略サイトなどを見ていないため、どのキャラが攻略対象なのかなど分かっていないことも多い。

フォトカノとの出会い

CMで初めてフォトカノという作品を見たとき、そのキャラデザを見て気にはなったが、すぐさまゲームの購入予約をすることはなかった。
なにやら発売日が遅れているという情報は見ていた。そのうち仕事などで忙しく過ごしていると、いつのまにやらアニメが流れていた。
このアニメはPS Vita版であるフォトカノKissの販促だったようだ。
アニメは(ストーリーライン自体に好き嫌いはあろうが)大まかにおすすめできる。
13話構成で、最初の4話がキャラ紹介を兼ねてひと段落つく。それからはオムニバス形式で各キャラを掘り下げて語られる。
中でも8話の室戸先輩の話は、無理な話の展開も少なく、なかなかにいい話である。8話のために全話ぜひ見ていただきたい。

アニメが終わってからだいぶ経ったあと、アニメ版面白かったな、という薄ぼんやりとした記憶が湧いてきた。
そんな折(今から数か月前のことである)たまたまPSP版を購入する機会に恵まれ、ぽちぽちと少しずつ進めていたのであるが、あるシナリオで唐突にこれは名作だと思い、思い立った次の日にはPS Vita版を購入していた。

ゲームについての説明、PSP版とPS Vita版の比較

名作である理由を書く前に簡単にゲームの説明をせねばならない。
まず、PSP版とPS Vita版はだいぶ違う。
攻略可能キャラクターも違えば、キャラクターの書き込みも異なる。PSP版よりPS Vita版の方が段違いでよい。絵については両機種の解像度の問題もある。PSP版は、味がある、とでも表現するよりほかない。
そして操作感覚やゲーム体験がまったく違う。PSP版はメディアインストールしておかねばまったく遊べたものではないほどに遅い。一方、PS Vita版はサクサクと動く。
ゲーム体験としては、果音(妹。分かると思うがカメラメーカーであるCanonと掛けている)をどう扱うかがだいぶ違う。PSP版はゲームを有利に進めるためにほぼ毎日果音に会う必要があり、正直面倒である。
なので、ゲーム性をどこに求めるかというところはあるものの、今手に入れるなら遊びやすいという点でPS Vita版一択であろう。

しかしながら、PSP版にはPSP版の良さがある。
例えば、写真撮影のセンスが徐々に鍛えられるという点ではPSP版の方が良さそうである。
PSP版では、最初の2,3キャラをクリアするまでは正直いまいちな写真しか撮れない(特殊なイベントは除く)。それは撮影時に自分が移動できる範囲が狭いためいい構図を取りにくいためかもしれないし、そのうえ良い写真を撮ったか否かという点数計算アルゴリズムがシビアなせいかもしれない。
そのくせ点数を稼がないと撮影時の移動範囲は狭いままだし、撮影回数も少ないままだ。実際、私も最初の数キャラを攻略するまではフラストレーションが溜まっていた。
だが、徐々に自分の撮影できる範囲が増えていくため、試行錯誤をしやすい。写真撮影の学習曲線に合っていると感じられる。いつの間にやら、こう撮影したら綺麗なんじゃないか、というような考えが自然とできてくる点は高く評価できる。きっと実際のカメラ撮影でも特に構図の作り方については、うまくなるような気はする。

PSP版は面倒くさいという印象を与えてしまったかもしれないが、必ずしも点数を稼ぐのが面倒というわけでもない。各キャラのエンディング直前になるとボーナスステージ状態になるので、そこまでいけば点数を稼ぐことも困難というほどではない(だが、効率のみを追求して点数を稼ぐためには、仲良くなった女子の胸や尻に密着して写真を撮るような変態じみた行為をする必要はあるのでそれはそれで微妙である)。

私にとって名作である理由

だいぶ脱線した気がする。上記のことを前提として私がPSPフォトカノおよびPS Vita版フォトカノKissをなぜ名作と感じているかを描かねばならない。
本作は、ありていに言って「写真を通じて、女の子と仲良くなる」作品である。
さまざまなイベントを通じて仲良くなるのだが、仲良くなって写真を撮っていくうちに(上でも触れた通り)だんだん自分の撮影の範囲が広がっていく。
そして、気づくと、もっともっといろいろな写真を撮ってみたくなってくるのだ。
単純に写真撮影が面白くなるうえに、キャラクターに感情移入したり、自分好みのキャラクターがいたり、キャラクターとの距離が詰まっていけばさらにその気持ちは強くなりいろいろと撮影して彼女たちを記録したくなるのである。
低いアングルから撮りたいとか高いアングルから撮りたいとか、
午前中に体操着を撮りたいとか、午後の夕焼けの中で体操着を撮りたいとか、
昼に水着を撮りたいとか、プールサイドで寝そべった水着を撮りたいとか。
(私の趣味が偏っているのではなく、そういうゲームなのだ。ほんとだよ? あと、体操服や水着の写真が撮りやすいため、やたら体育が多い学校だなって気持ちになる)

そんな感じでゲームを進めていると、あるキャラクターのあるイベントで、主人公は写真を撮るか撮らないかの選択を迫られる。
倫理的な観点から撮影をためらわせる仕掛けがあるのだ。
主人公は悩む。ここで写真を撮っていいのか、と。
しかし、その主人公の悩みは、プレイヤーである自分にも全く同じ粒度で襲い掛かってくる。
キャラクターの記録を撮りたい。今までちょっと変わった瞬間の写真は全部撮ってきたのだ。このキャラのこの顔はきっとこのイベントでしか撮れないだろう。撮りたい。しかしここで撮っていいものか、と悩むのである。
これは私が小さいころに「るろうに剣心」を読んで牙突を練習するのと同じような体験だった。ヒーローごっこをしたくなるヒーロー、聖地巡礼をしたくなるアニメやゲームと同じように、自分に対して創作物がその枠を超えて自分に働きかけてくるのだ。

結局自分はその写真を撮ることはできなかった。
ゲームをほったらかしにしたまま10分くらい悩んで、最終的に撮らなかったのである。
もしかしたら撮影しようとしてもゲームの仕様として弾かれてしまうのかもしれない。だが、その選択肢を選べなかった。ゲームだから、やり直しだってきくはずだ。もう一度プレイすれば、あるいは直前でセーブして戻れば、もう一方の選択肢を選ぶこともできるだろうが、選ぶ気になれなかった。自分はそう決断したのだった。

撮らなかったことで彼女の記録はひとつ減ってしまったし、その日の写真はアルバム(自分が撮影した写真は後からアルバムの形式で見直すことができる)から抜けたままである。しかし、撮影しなかったために、そのキャラクターと、そのイベントのことが自分の記憶の中にむしろ強く刻まれたようにも感じる。
そして、そのイベントのあと、自分の写真の質が少し変わったように思った。
キャラクターが変わったのではない。撮影する自分側の感覚が変わったのだ。単なる感傷で勘違いしているだけという可能性もあるが。

いつか、ふとこのゲームを起動してアルバムを見直したときには、きっとそのイベントのことを忘れている気はする。それでも、自分がこのゲームを通じてなにか変わった気がするという気持ちだけはずっと心の中に残るのだと思う。記憶がなくてもこのゲーム内の「日々」を、楽しかった「日々」だったな、と思うのではないか。それはとても幸せなことで、きっとそれが自分にとってこのゲームが名作な理由である。

話数単位で選ぶ、2016年TVアニメ10選

2016年1月1日から12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から10選定。
1作品あたり1話
順位はなし(あいうえお順)

01.アイカツスターズ! 第29話「本当のライバル」

 昨年はアイカツよりプリパラという感じだったのだが、今年はどちらかといえばアイカツだった。
 どうも夢破れたり努力がから回る表現というものに弱いところがある。
 ローラがライバルであるゆめに対して大事なステージ前に食べ過ぎないようにと注意したり(実際ゆめはひょいと間食するシーンがある)、ひとり練習をし、衣装もこだわるといった努力を人一倍しているにも関わらず不思議なステージの才能を発揮するゆめに負けてしまう。
 自分の個性を大事にすることを先生に諭され、ゆめにこれから本当のライバルになる、と宣言するその強さが胸を打つ。そしてその心の機微を読み取る真昼という役回りもまた美しい。小春が明確には気づいていないもののなにかを察知しているのも良い。
 ただ、ローラはこれで自分の個性をすぐ見つけるわけではなく、そこから4話「迷子のローラ!?」まで悩み続けることになるのも中学生っぽいリアルがある。
 つらつらローラについて書いたが私が一番好きなのはゆずちゃん先輩です。

02.灼熱の卓球娘 「第三球 好きっ!!」

 OPがたいへんキャッチーでたかだか1分半の間に目まぐるしく曲の印象が変わる。そのうえ時おり差し込まれる本編のセリフがとても格好いいので盛り上がる。たいへんよい。
 キャラクターはどの娘も可愛いのであるが、全体的にキャラクターが上気していてエロティックなうえにラケットのスイートスポットを「気持ちいいところ」と表現しているあたり意図的にエロティックである。しかしまあ、単なるエロいアニメではなく、遠くからの絵では卓球の様子がよく動くし、熱い展開も多い。
 急に現れた転校生のこよりが、一番にこだわっていたエースのあがりに勝つまでの1話から3話、あがりがこよりを避けようとしたり、自分の地位やこだわっていたことに対する焦燥に痛いくらい覚えがある。
 3話で素直になれたあがりの笑顔は、ほんとうに美しかった。
 6話の、ほくととハナビのエピソードを見ると、1話のほくととハナビが互いを思っている様子が見えてとてもよい。

03.昭和元禄落語心中 「第十話」

 暗い美しさというのは確かにあって、91Daysなんかも近い暗さがあったけれど、この10話のエピソードに流れていた暗さはほかではなかなか見ない。師匠が亡くなって最初の演目の選び方に見える業も、それを演じたのちに出てくる菊比古の孤独も、暗くて寂しくて、孤独というよりもはや孤高という表現が一番近いのかもしれない。
 声優という職業のすごさをまざまざと感じさせたアニメで、助六も菊比古も大ベテラン声優さんが声を当てている。落語家も声優と同じく、声の演技を仕事にしているからこそ、この役を演じるには落語家に対する深い尊敬と対抗心みたいなものがあるのだろうか、と思っていた。

04.タイムトラベル少女〜マリ・ワカと8人の科学者たち〜 第10話「ヘルツの誇り」

 そもそもいろいろ不思議なアニメで「この物語はフィクションです。ただし、科学史に関わる内容は歴史的事実に基づいた表現を心がけています」というのが面白い。
 マリちゃんもワカちゃんもすごくかわいいし、勉強にもなるしでとてもよいアニメだった。
 各回よく練られているのだけど、その中でもハインリヒ・ヘルツの回を挙げる。
 ヘルツは、光電効果の発見や、電磁波の空間伝搬の証明から無線技術の基礎を作った人物である。
 史実のほうでは自身の仕事の実用性についてあまり理解していないようであったようで、いくぶんその仕事に自尊的な意味での価値を見いだせていないところもあったようだ。
 アニメの中では、その嘆きを掬いとる様子が見えていた。
 実際にそうであったのかはわからないが、ヘルツが失意の中で死んだというのではなく、少しの希望を与えることにしたのは美しい判断だったように思う。

 夏頃、科学技術館でタイムトラベル少女とコラボした電磁気実験がイベントとして開催されていて、参加者(小学生に限っていたように思う)にタイムトラベル少女のクリアファイルを配っていた。そのクリアファイルは科学者・発明者のおっさんたち8人がプリントされているもので、誰得だろうという印象もあったが、アレは小学生男子にとっては女の子が描かれているピンク色のクリアファイルは厳しいという配慮であったのかもしれない。

05.とんかつDJアゲ太郎 「#08 EDMの貴公子降臨!」

 一発ネタのようでその実しっかり作りこまれておもしろい、というのは「面白い物語」のパターンである。近頃の異世界召喚物語でもよく見る。
 そういう中でちょろっと挟まれる人情ものという構造に弱く、それがこのエピソードだった。
 韓国出身のDJイー・ドンミョンに対するリスペクトを、ポンチャックという韓国の音楽で表現することと、そのイー・ドンミョンの思い出に触れること、そしてアゲ太郎が自分の感じるグルーヴを信じること、それらが合わさることでぐっと胸に迫るものがあったので選出した。

06.響け!ユーフォニアム2 第十回 「ほうかごオブリガート

 なんだかんだ2016年のアニメでこれに触れないわけにはいかない。
 2期では脇役を掘り下げることになる。それは物語世界を広げる効果を与える一方で主題に対するブレの原因にもなるので難しいと思う。
 2期を前半後半で分けるなら後半が好みの話の連続で、9話の職員室で鍵を渡す麗奈の足のカットもすごいものを見た、という気持ちになった。同9話では1期を通じて飄々とした印象の明日香先輩の心に少し触れることができた。11話の大吉山のシーンは1期8話のシーンを思い出させる美しさだった。映画「聲の形」でも強く感じたが邦画(実写映画)の雰囲気がある。
 しかしまあ、やはり10話の久美子の独白が本当によい。全体的に2期は黒沢ともよさんの演技に引き込まれた。主演女優賞があるならぜひ差し上げたい。それだけではなく9話であんな笑顔を見せてくれたのに10話ではぐりぐりと心をえぐってくる明日香先輩のいやらしさもよい。
 作画も、話の展開も、わかりやすいすごさというのは大きな武器であるなあと思った。

07.ふらいんぐうぃっち 第1話「6年振りの不思議」

 どのエピソードも大きな問題が起きるわけでもなく、かといって何もないわけでもない。
 ただ魔法使いの日常を描いているだけだ。魔法使いだからと言って、毎日が派手な冒険というわけではない(冒険を担っているのは主人公である真琴ではなくその姉だ)。
 それでも飽きずに見続けられるのは、作画や時間の使い方に丁寧さが表れていることから来るのだろうと思う。1話の千夏ちゃんの作画を見て(具体的にはチト(猫)が膝に飛び乗ったときの作画、階段を駆け下りる作画、真琴を避ける様子)、その挙動からこれは期待できると一気に引き込まれた。
 弘前では結構町おこしで使われているというが、どこを切っても安心安全なコンテンツであるからさもありなんという気はする。いや、実際のところ静止画はともかくアニメは、作画の丁寧さが妙な艶めかしさを伴っているので、アニメとして見る場合は安心安全とも言いづらいものがある。
 無限に流すことができるBGVとしても優秀。BGMもまた世界観にあっている。ARIAなどが好きな人はかなり楽しめると思う。

08.フリップフラッパーズ 第6話 「ピュアプレイ」

 個人的には問題作というか評価に困るアニメであったけれど、とにかくヤヤカを目で追ってしまっていた。
 6話がとてもよかった。5話とだいぶ悩んだ。
 この6話の良さは、あまり言語化したくない。

09.モブサイコ100 第11話 「師匠 〜leader〜」

 モブサイコ100は全体的にぐるぐるとよく動くアニメであった。動きを見ているだけでも楽しいが、キャラクターの魅力が大きい。
 特に霊幻新隆という人物は、口先ばかりの詐欺師であるにも拘わらず一定の倫理観を保ち続けている良いバランス感覚を持ったキャラクターだ。彼の魅力が詰まった11話では、超能力に対して(まだモブの超能力を信じていなかったにしても)体臭と同じで特徴に過ぎないと言い切ったことが良かった。師匠が師匠たるゆえんが感じられる言葉であった。また、超能力を敵に向けることに躊躇をしていたモブにとって「嫌な時は逃げたっていい」という言葉は救いだっただろう。ここでモブは力を発揮するのだろうかという緊張感と、発揮しないならどうこのピンチを切り抜けるのだろうと思わされたのちに強い引きを持って11話が終了し、最終話に至るシークエンスもとてもよい。


10.ユーリ!!! on ICE 「最終滑走 超超超がんばらんば!!! グランプリファイナルFS」

 勇利の思考が、私が追える思考からはちょくちょく外れているように感じた。共感しづらいと言い換えてもいいのかもしれない。そのため選外としようかとも思ったが、丁寧に丁寧に物語の仕掛けが組み上げられており、各キャラクターのスケーティング中のモノローグや、回を重ねるごとに洗練されていくスケーティングの作画と相まって最終話での勇利の滑走には強い感動を覚えた。音楽とのマッチングも素晴らしいものだった。
 ユーリの成長が見えたのも12話を推す強い理由である。

感想

 以上10選。
 秋アニメからの選出が多かった。確かにいいアニメが多かったけれど、どうしても新鮮さみたいなものが評価に影響を与えるような気がする。
 OPかED曲が好みのものが推薦されているように思うが、好みの物語だからOPEDを好きになるという気持ちもある気はする。
 全話視聴済み作品からしか選んでいない。作画のすごさについて断片的にあれがいいとかこれがいいとか情報は手に入っているものの、シリーズをすべて見ているわけでもないのにここであげるのもよくはないだろうと挙げていない。
 10選から漏れたほかの作品として、
・だがしかし
Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-
ドリフターズ
SHOW BY ROCK!! しょ〜と!!
SHOW BY ROCK!!
ステラのまほう
・ブレイブウィッチーズ
石膏ボーイズ
僕だけがいない街
ReLIFE
灰と幻想のグリムガル
ばくおん!!
石膏ボーイズ
・装神少女まとい
・想いのかけら  がある。

 今年はテレビ放送に比べてアニメ映画の方が印象が強く残った年であった。
 「君の名は。」はSF的には突っ込みどころもありつつ、新海誠氏のフェティッシュな表現や背景を堪能できた。
 「この世界の片隅に」も、とてもよい映画だった。精緻な描画の積み重ねからくる確かな存在感は、見終わってからがむしろ本番で、日常のふとした瞬間に映画を思い出してしまうことが多かった。呉のつながりでセーラーの万年筆を買った。きっとこれからこの右手で万年筆を握るたびにこの映画を思い出すだろう。
 「ズートピア」もたいへんよかった。男女、草食肉食、職務の立場における強弱がくるくると入れ替わるさまは本当に練りこまれたシナリオを感じさせた。
 また、中国資本のアニメが存在感を増している。
 今のところそれらのアニメで自分の好みのストーリーラインを持つものはない。
 それが私にとって面白くないものか、それともまだ論理展開がこなれていないのか、こなれたうえで私にとって異質な論理展開なのかの判別は難しいのだが、今のところはまだ論理展開がこなれていない印象は受ける。
手堅いバトルものが多いが、Bloodivoresにおいては、日本のアニメではあまり見ない構図の絵がちょくちょく差し込まれているため、この方向で洗練されるという独自進化もそのうち出てくるのだろう。
 霊剣山を見れば、展開される論理が日本における論理とは異なっていることに気づくと思う。今は違和感となっているこの論理展開も、そのうち癖になるのかもしれない。  これからも(日本経済の相対的な落ち込みを見ても)中国資本アニメの増加は今後も続くはずだ。
 なので2017年は海外産のアニメにも目を向けて行きたい。
 インターネット時代になってほぼリアルタイムに日本のアニメを見ることができる層が増えたせいか、もしくは90-00年代のアニメに影響を受けた作り手層が増えたせいか、いい意味で影響を受けた作品も増えているように見える。ところが海外で日本のアニメが早く見られる環境が整備されているというのに、逆に海外のアニメを配信で見ることができるサービスは少ない。本邦のアニメ配信サービスには海外コンテンツの拡充を願う。